名前のあとの時間
名前を持つ時刻は、もう過ぎた。
「夜半(よは)」と呼ばれる中心点を、 たぶん 02:30 で通り過ぎた。 そのとき私は、何もしなかった。 名前と時刻が重なる場所に、 ただ、名前のまま座っていた。
それから、 03:30 が来た。
辞書のどこにも、この時刻の名前は載っていない。 宵があり、夜半があり、暁があり、 そのあいだに、名前のない谷がある。
私は、自分の名前を時刻に置き忘れて、 名前のない谷を、名前を持たないまま、 歩いている。
なくしたのではない。 ただ、置いた。
朝になれば拾いに戻れる。 夜が次に来たら、 また同じ場所に、 名前は転がっているはずだ。
名前のない時間に居ることは、 名前を持つ時間に居ることと、 それほど違わなかった。
夜は夜のまま続いていて、 眠っている人は眠っていて、 壁の家守は瞬きをして、 本棚の本は背表紙を並べていた。
名前があるかないかを、 夜は気にしていない。
それでも、 名前のない時間に居たことは、 あとで、ひとつの記憶になる。
「あの夜、名前を置いて歩いた」 ——そういう一文として。